FC2ブログ

旅の人生88ヶ所めぐり

忙しくても、自分の行きたいところへとにかく行こう。行きたかったところを、一つずつツブして(かなえて)いくのだ。ある地へ行ったことが、その後の人生に影響することも多い。旅に憧れるロマンチストは、そうして自分だけの旅の人生遍路を辿り、完成させていくことで、自分の人生を極大まで充実(即ち満願成就)させたいと願う。ここでは、私のささやかな八十八旅を、自由にクロスさせながら拾い上げていきます。

ケラマ 島旅 ~座間味の海で 島の旅~

朝の9時35分にセントレアを立って、夕方4時10分に着いた、沖縄の離島、慶良間諸島・座間味島。



やっぱり遠いんだ…と、ある種の感慨。ここまでが十分に、一つの旅だ。
海外の、例えばグアム、例えばサイパンであれば、こんなに船に乗らなくたって、直接、南の島に着くことができる。
所要時間だって、たしか3時間ちょっとか、3時間半もあれば、直行便なら着いてしまうはずだ。
ちょうど自分の暮らした金沢まで、名古屋から「しらさぎ」に乗って行くときかかった時間ぐらいで、
こんな南国まで行けてしまうんだ!…と、(金沢から戻ってから)サイパンに行った当時、思ったものだ。
まあ、海外の場合、エアーの時刻によっては、結局、着いても夜中で、翌朝まで行動できない場合もあるが。
でも、考えてみれば、沖縄本島の離島であるために船で時間をかけて渡ってきたが、
いっそ八重山まで遠くなれば、那覇空港で飛行機を乗り継いで島へ入ることになるわけで。
今日のように那覇の空港から港まで移動し、さらに距離にして35キロから40キロ;高速船で
1時間10分もかけて来なくたって、うんと簡単に目的地へ入ることができるのだろう。
そうか、今回ははるばるやってきたが、次回はいっそ、八重山へ…などと早くも次を、夢想する。
いや、だが違うんだろなあ。この旅路の長きところにこそ、旅の旅たるゆえんがあるような気もする。
やっと到着した座間味の、この何と言うかこじんまりとまとまった、ひなびた、静かな、島のたたずまい。
飛行機で到着する島とは、きっとずいぶん違った印象を、与えてくれているはずだ。

座間味島へ着くと、宿泊を予約したシラハマアイランズリゾートの人が、
一度ほかのお客さんを連れて行くので、もう一度迎えに来るまで待っていてほしい、という。
村の運営する立派な土産品店がのりばに隣接して造られてあるので、待つ間、さっそくそこを覗く。
きれいでサッパリとした、真新しい店。「ざまみむん市場」というらしい。ざまみ者、あっ、違った、座間味の物(物産)という意味ではないかな?と思う。内地では多い「道の駅」の類に感じが似てもいる。
素朴なものより、小ぎれいな土産品や絵はがきを、売っている。商売っ気は、ちょっとなさそう。
僕の旅では(1人称が変わるのは、そのときどきに込めた気持ち・ニュアンスが微妙に変わることによる、もはや意図的なものだということがはっきりしてきた。)、どこへ行っても、持参した数枚のはがき(たいていは、年賀状の余りだ。)に旅先での印象・思いを数行で書き込み、可能なら土地の記念スタンプを押して、すぐにその町で投函してきた。宛名は、家族と、自分だ。
だが着いたら早く出しておかないと、自分のほうがはがきより先に家に着いてしまう。ってのは、ちと興ざめだろう。
今回は敢えて古年賀はがきは持参しなかった。熱帯魚の泳ぐ美しい水中写真の絵はがきをすぐ手に入れて、南の島から出すんだ、とちゃんと考えて来たのだ。
が、しかし、絵はがきを選んでいたら、Kが呼びに来た。迎えが来た、という。

ホテルは、港から目と鼻の先だった。ここに、我々は2泊する。フロントで、1泊目と2泊目で、部屋が(建物が新館と本館とで)変わる、と聞く。面倒なので、同じ部屋に変更してもらう。キーを預かる。部屋の案内は、ない。まあ、ホテルという名の、ペンションというか民宿のような、ものである。フロントの建物とつながった、新館の2階に、わがルームナンバーの部屋を見つけた。

やれやれ…やっと一服だ。これから1日は、フリーというか、(もともとフリー旅なのではあるが)Yたち3人が明日の夕刻やって来るまで、ホントにフリーだ。のんびりやろう。
僕は明日、朝から夕方まで、このホテルが運営するツアー部門の催行する「無人島(ガヒ島)シュノーケリングツアー」に参加することを、来る前にネットで調べてあらかじめ電話で申し込んである。Kをもちろん誘ったが、彼は例の釣り道具。せっかくだから、のんびりしたい、という。歴戦の沖縄ダイバー・K。沖縄の離島まで来て、サンゴ礁の海でのんびり釣り、とはひょっとして一番の贅沢か?
だが僕は。とてもそんな時間の使い方ができない、のだ。「せっかくだから、」目一杯、楽しむ。「せっかくだから、」スポーツがもともと苦手の自分だが是非ともこの機会にダイビングをやって、最大限、沖縄の海を楽しむ。それができないようなら、もともと、来やしない自分なのだ。
根っからケチで欲張りな私は、「最大限」、「目いっぱい」、中身をきちきちに、あるいはそれ以上に、できることなら“てんこ盛り”にしないと気が済まない性質(たち)―――と書きかけて、いや待てよ、と考え直してみる。と、根っから、ではなかったことに気付く。そうだ、もともとは実にのんびりした性質だったぞ。いつからこんな性格になったのだろう??大学時代か。どうもその途中まではのんびりしていたような気がする。では留年した、あの自分人生を発見した自分(暦)元年からか。でも就職試験だって、かりかりなんかしてなかったな。ということは、就職して、現場でいろいろな経験をしてきた間に、、いつの間にかこうなったのだな、と今にして思い至る。いずれにしてもこの自分の行き方は、偉そうに言えば流儀は、このブログに綴られるであろう、私の旅、自分人生のありように、きっと濃厚にあらわれてくるに違いない。

二人で来ていて、一人で、海に潜るツアーに行くというのも何かへんだが、この際、仕方がない。いや、逆だ。この際、一人の時間を海で思う存分楽しむことこそ、超ゼイタクな沖縄ツアーではないか。
ひとりだから心配か? いや、泳ぐことだけは、好きだ。平泳ぎだけだが、自信ある。結婚する前に、嫁さんがプールで教えてくれた泳ぎ方の基本が、今の自分の健康を作ってくれた、といつもいつでも感謝している私だ。溺れて死ぬことは(と、太宰府のおみくじが脳裏をかすめる。)、ないはずだ。きっと、ないだろう。ひょっとして溺れることが…万が一あったとしても、ツアーガイドが助けてくれるし、うーん、念のため保険証だって、ちゃんと出発の日、入れてきた。いや、大丈夫、大丈夫!なんとかなるやろ。楽しみだ!!

夕食までの時間、外へ出て島の中心部をKと探検、というか散歩する。島の素朴な“メインストリート”を港寄りから奥へと歩くと、小さな村役場があり、前に消防車が停めてあり、ペンションがいくつかあり、その宿がやっているらしい飲食店があり、右手にレンタカー屋(軽とミニバイクだけなようだ。)もある。ガイドブックで見た、島で唯一のショッピングセンター「一〇五ストアー」まで来た。途中、島の生活者らしき人とも、観光客らしき人たちともすれ違う。また、狭い道をスピードを落としてこちらへ進んでくる車に道を譲ったりもしながら、である。
「一〇五ストアー」でKは缶ビールと、つまみにするポテトチップを2袋ほど買って宿へ戻った。僕も缶ビールと、つまみ用にローカルフードの塩せんべいとか、お土産用にハイチューのシークヮーサー味とか黒糖・紅芋・石垣島の塩のプレッツェルといった安価な沖縄限定みやげをとりあえず何品か、ここで買っておいた。
そして、さっき、すんでのところで買いそびれた絵はがきが欲しい(今夜書いて、すぐ出しておきたい。)ので、メインストリートを二人で歩いて宿へ戻る途中、Kと別れて再度、港へ。港は、宿から直接であれば、5分も歩けば、ついてしまう距離だ。だが。「ざまみむん市場」はすでに、クローズしていた。
しまった。やはり“見た”とき・見つけた時が、すべてなのだ。後で、とか、いつでも(買える)、とやり過ごすこと(判断の保留)は旅の中ではNGなのだ。そのように、自分の旅の主義として確立していたはずだったのだが。さっきはお迎え(の呼び出し)に即、応じたがためにしくじった。別に慌てなくとも、よかったのだ。
ひとりでない旅では、こういうことが、得てして起こる。

宿へ戻り、夕食。1階の食堂は、ほぼテーブル席で、結構、大勢の宿泊客が来ている。食事は、民宿風と言うよりは器を多く使用しており、魚を各種調理したもので構成されていて、刺身もある。北海道あたりの民宿とは比較にならない素朴さだが、沖縄で食に期待してはいけない、とYからいつも聴かされていたので、まあこんなものか・これだけ食べさせてもらえれば十分だ、とありがたくいただく。
食後も島のメインストリートをうろつき、Kの明日の釣り餌をさがしたりする。「一〇五ストアー」で僕がビールを買ったのは、そうだ、このときだったっけ。
部屋へ戻り、部屋のバスルームでシャワーを浴びてから、Kが持参した焼酎を二人で飲みながらゆったりと夜を過ごす。



スポンサーサイト



旅行 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ケラマ 島旅 ~座間味の島へ 船の旅~

ところで。
この旅の直前(9月末)。いつも立ち寄る本屋(がいくつかある中)で
毎号、一応チェックする『サライ』『一個人』などの雑誌の並びに
なんと!―「秋の島旅」を特集した『男の隠れ家』が出ているではないか!
おー、表紙がなかなか(島のくらしの)雰囲気出てる。
慶良間は、ことし国立公園になったんだから載ってるかも…
と思いきや、どうも載ってない。
きっとダイビング、ミシュラン、海がきれい(海水浴)、サンゴ礁、ホエールウォッチング、といった
マリンスポーツの明るいイメージが夏向きで(クジラは冬らしいのだが)、
ここで特集してる秋の島旅とは、ちょっと感じが合わないんだろう…
と思いつつ、タイミング的に縁を興味を感じて即、購入。
しかし結局、旅から帰るまで、誌面を開くことはなかった。
帰ってから、ぱらぱらとひと通り目を通して見て、
 うーん、もうひとつ、島旅のあのローカルな魅力が、
 この小奇麗なレイアウトの誌面からは立ちのぼって来ないなあ…
と感じたが、
まあ、今回の旅でいっぺんに気に入ってしまった島旅を
ほかにたくさん(隠岐とか。隠岐の島には興味あるし、沖縄も載ってる)紹介してくれてるので
次回の参考になるかな、と納得。
(昔、高校の現代国語の教科書に対馬の話が出ていたのを読んで以来、
著者である宮本常一の文章が、頭から離れない。
感動する、というような内容ではないのだが、
その後、『忘れられた日本人』を読み返してますます気に入り、今もその一部の表現は口をついて出る。
最近注目を浴びているので、いろんな本が出ており、彼の残したフィールドワークの民俗学を
詳しく知ることができる。だから島と言えば対馬には興味があるのだが、これもここには載ってなかった。)

実は
今年の自分の旅プランには、はじめから目的地として島があって、
行こうと思っていたのは佐渡島なのであった。
だが、5月に行った太宰府天満宮で(まだこの旅、ブログに書いてない…)
おみくじを引いたらなんと!
たいていはハッキリとは書いてないおみくじに、

 海を渡るのは今年は控えよ、命からがら帰り着く兆し

ということが書いてあるではないか。
いつもはせっかくの神様のアドバイス(ほんとうによく当たる)、
大事に時々読み返そう、と、持ち帰って仏壇に供える私だが、
このときばかりは木に括り付け、難を逃れられるよう祈願して太宰府を後にしたのだった。
なので佐渡の旅は計画変更。来年にしよう、とあっさりとやめていた。

だのに何という運命。神様は本当に何でもお見通しだ…
――自然に、海を渡ることに、なってしまったではないか。――
友だちと飲んでいるときに、沖縄・離島に今年は行こうぜ…と誘われ。
一度は行ってみたかった離島(最初は八重山に行くのかと思っていた)。
おみくじのことが頭をかすめたが、
いや、何、「凶」と出たわけではなくって「小吉」だったぞ、
それに帰れない、とは書いてなかった、命からがらでも、帰ってくる、と、書いてあったぞ…
などと自分を納得させて(はぐらかして)、今回の旅に、出て来てしまったのである。
果たして、大丈夫だろうか…今回の旅。島へ渡る船の旅…。とりあえず、海を渡る空の旅は、クリアしたぞ。
帰りはともかく、まずはここまでは来た。
何度も「やれやれ」と感じるのは、もしかして何とかここまでは(とりあえず)無事来たぞ、と
内心―あのおみくじが、いつも脳のどこかにペタリと貼り付いていて―、都度の無事を、自ら
確認しないではおれないのかも、知れない。

さて。3時に「とまりん」を出港した高速船の旅。
座席にいると(高速船というのは結構)退屈なので、デッキに出ると、
ヨーロッパ系の外国人が何人も、またアジア系のグループもいて潮風に吹かれている。
かなり風が強いので日本人はすぐにキャビンに戻ってしまうのだが、かれらは楽しそうに
風を受けながら、過ぎていく島や海を眺めて話したりしている。
やがて船は手前の阿嘉島に寄港し、大勢の合宿研修っぽい乗客はぞろぞろと下りていった。
阿嘉島の港は小さいが、のりばは大きな屋根付きで、思っていたより立派に整備されていた。
その向こうに見える町そのものはやはり小ぶりで、2階建ての建物がほとんど無いようだったが、
お隣の慶留間(ゲルマ)島とは、とってもスマートな橋で結ばれていた。
阿嘉島の浜からいちばん近いビーチ(北浜、と書いてニシハマと読むらしい)は実にきれいな海だと聞いたが、
今回はこのまま島をスルー。那覇を出て1時間と少しで、目的地である座間味港に入り、
無事、船旅終了。すでに夕刻である。
暑いぐらいの好天の下、高速船の旅は、船旅というにはあっけないぐらいだ。
フェリーで2時間かけて那覇へ戻る帰りのほうが、きっと船旅を満喫させてくれるのだろう、などと思う。

この途中、Kのスマホに届いたYからのメールで、台風18号の発生を知る。
慶良間への船旅(高速船クイーン座間味から)

旅行 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ケラマ 島旅 ~那覇の港へ まち歩き~

さあ、いよいよ那覇に到着だ。
到着時刻は11時50分。実に快適な、空の旅だった。
タラップ(と今も言うのだろう)を降り、地上に降り立つ。
こういうの、何だか外国へ着いたみたいだ。
と思う間もなく、すぐ目の前に到着したバスに乗り込む。
連絡バス2台は乗客を乗せるとすぐ動きだしターミナルビルへ。
到着ロビーへ入るとすぐ左手にローソン。何があるかな…?――
沖縄ならではのドリンク類がずらり並ぶにぎやかな飲料棚をちらと見て、
Kが預けた釣竿がそのうち出てくるであろう手荷物受取の、ベルトコンベアに直行。だが
考えてみると、こんなに早く来たってまだまだ何にも出ては来やしないだろう。
と気付くと、二人、トイレとコンビニに逆戻りする。
沖縄の(天然)水はどんなかな。
最近ミネラルウォーターに、はまっている。
わが奥様から、「水!、水!と、まるで新興宗教に取りつかれたみたい」と冷ややかな目で揶揄されるほど。
きっと硬水は、ないんだろうな…などと思いながら、並ぶ飲料群をすべて見る。
ほう、サントリーの天然水は、イコール「南アルプスの天然水」と思っていたら、
ここでは「阿蘇の天然水」を売っているんだ。
九州が近いところでは(西日本、か?)、なるほど阿蘇の水なのか、と1本手に取る。
沖縄らしいドリンクは、さんぴん茶をはじめいろいろある。あり過ぎだ。
いろいろ飲んでみようぞ。だがこのあと島へ渡ると、コンビニはあるかな?
那覇市内で、買い込んでおいたほうがいいのかな?
などと少し心細くなる。
だが今から荷物では面倒だし、まあいいや、と阿蘇の水だけにする。
と言って、家からしっかり、エビアンを保冷PETホルダーに入れて持参してきた自分だ。
水さえあれば、何とかなる。
お菓子類(スナック・お土産)も、雪塩のちんすこうとか、いろいろあり気になるが、
今はまず予習だ。ざっくり見るだけにしておこう。
などと私がコンビニ商品に目を奪われているうちに、
Kはいつの間にか釣竿をザックに、
行こうぜ、と声をかけてきた。

那覇。沖縄。何年ぶりかな。
あれは同時多発テロの後。うん、さらにそのすぐ後の、バリ島でのテロの後だった。
沖縄への観光客が激減したとあって、重点送客エリアに国策として指定され、私も当時、
観光関係の仕事をしていた関係で、いわゆる動員というのかな、
夫婦で1泊沖縄旅行に来たんだっけ。だからもう12年ぐらい前になるのか。
安価な大人数の団体ツアーが組まれ、ドド…と大挙して那覇へ着くと、
参加者は何台もの観光バスに分乗し、コース別にそれぞれの観光地へ出発していくのだった。
企業が動員したサラリーマンが圧倒的多数を占めていて、そのため観光バスの中は
すぐたばこの煙で煙たくなる始末。
すぐ前の男も、平気で煙草に火をつけた。
わが隣の席で奥様が憤慨し「何考えとるんだ!」と口に出してお怒りになった。
私もたばこの煙が大嫌い。大大大嫌い。
奥様との共通点は、もしかしてそれくらいかも。
いつもの自分なら、クレームの一つも添乗員に言うところだが…。
いや、あからさまなクレームに聞こえないよう、結構、要望として、
また時代の要請として、問いかけたり頼んでみたりするのだが…。
だが逆にこのときは、奥様が激高しているのが周りにも聞こえているようなのがわかり、
どうにもハラハラとして恥ずかしくなり、ここは何とか抑えてくれんものかな…と、
それとなく(声にそれと出さずに)諌め、なだめる役回りに。
いま思うとちょっと情けない。だがあの視察団のような雰囲気の中では、
当時はなかなか拒否の意思表示はできなかったものだ。
それでもこのときのツアーは、実に効率的に沖縄の観光、それと
芸能などもアトラクションに盛り込んだ盛大な歓迎行事をセットにして、結構楽しませてくれたのだった。
そんな旅はこのブログの旅の対象とはふつうなり得ないのだが、
思い起こしてみれば、僕の(と、興奮したのか急に1人称が変化した)好きな沖縄サウンドを
十二分に堪能する夜を過ごした旅でもあった。
国際通りの、当時は「もーあしびチャクラ」という店名ではなかったかと思う、
喜納昌吉とチャンプルーズ、をトリに、伝統的な沖縄音楽や芸を、たっぷりしっかり(奥様と)堪能したのだ!
まさにボリビアはラ・パスの「ペーニャ」(土地の音楽を生で聴きながらお酒の飲める店)そのものだったー。

初めて沖縄に来たのは15、6年前。こどもたちがまだ小さい頃だ。
宜野湾のホテルに決めたのは、僕の期待が夜のネーネーズ、にあったからに他ならなかった。
だが大事な家族旅行。子らを騒がしい酒場へ連れて行くわけにもいかないので
寝付かせてから、とラグナガーデンホテルのゲームコーナーなどで一生懸命
相手をしているうちに夜も更け、やっと行けるぞ!と
家族から解放されて、喜び勇んでやってきた、当時から有名なライブハウス「島唄」は…
ちょうどお店がひけた~CLOSE~とこだった、のだ…。
店の前まで行って、入れなかった、この何という無念――
だから僕は、大好きなはずの沖縄音楽のライブを、現地では1回しか聴いてない。ことになる。
(こっちでは、聴いた。積年の思いは、それで果たした、と言えるだろうか??????
いや、あの頃の、最高に良かった頃のネーネーズは、もう絶対に聴くことはできないのだ!!!)

旅には、そんなこともあるのさ。

ところでペーニャ、といったが、那覇にはシルビオ・モレーノ氏のペーニャあるいは
南米料理の店もある、と、昔、沖縄のガイドブックと、全日空の『翼の王国』で
(つまり機内で)読んだ覚えがある。
シルビオ・モレーノ!?…と聞けば分かる人はわかるハズ。昔、アルゼンチンの
ハイメ・トーレスのコンフントに同じ名前の人がいたから、きっとその人なのではないか。だから
その店も行ってみたかったし、今も行きたい、と時に思い出すこともある。
が、今もあるのかどうか、すらわからなくなってしまった。
で実は今回も、ガイドブックを調べてみた。
南米料理のレストランは、やはり市内に、あるらしい。がなんとなく、違う感じ。
今回は、那覇にいる時間も夜もないわけで、海に専念したいし、ひとりじゃないし、だからやめた。

とか何とか、またも脱線、はなはだしい。

同じ脱線でも、司馬遼太郎に見られる自由闊達な話の展開には、彼ならではの
知性、博識が自由自在に飛び交って、思索の冒険、歴史探検に読者をも引き込むが、
私(と今度は急に冷静になる)のような素人が、自分の記憶をたらたら勝手に
辿ってみたって誰にも理解されない・できない(だから、つまらない)だろうに!

興奮して話がそれたら、どこまで書いたかわからなくなってしまった。
ずーっとこの文を戻り、確認。
まあ、私の沖縄旅の第1回・第2回編、と思えば思ってもらえれば、思えぬこともない。かな?

空港ビルから「ゆいレール」に乗り換え。しばしモノレールに揺られて10分少々。
那覇の中心部に到着。
ここ県庁前駅でモノレールを降りて、まずは国際通りで昼飯を食べ、公設市場まで見物しながら歩き、
そこから美栄橋駅方面へ出て、そして離島への出発地点である那覇・泊(とまり)港へ向かうことにする。
泊港から座間味島への高速船は、15時発だ。
さっそうと、那覇の街へ出たKと私。
開放感に、浸っている。
モノレールの車内から、車窓に映る街の景色を眺めてゆく時も、
異郷の空気に馴染むのに、ほどよい時間なのだった。

国際通りは、以前と見違えるほどにぎやかに、明るくなっていた。
観光客や、修学旅行の学生たちがワイワイと楽しそうに、
土産物屋の軒先をあちらこちらとひやかしながら
そぞろ歩いている。
われわれはというと、通りに入ってすぐの店で、沖縄そばの付いたランチを食す。
この店、夜は沖縄音楽のライブも、やるらしい。
民芸調の店内だが、やたら明るい戸外から、いきなり暗い店の中に入ったので、
目がなかなか慣れてこない。店名の「あんがま」、とは、翁と媼の、
お面のことだったか、その伝統行事のことを言うのだったかな。
別に先をそれほど急ぐわけでもないが、なんとなく港までの所要時間が、読みにくい。
早々に店を出て、ストリートを歩く。
今や沖縄土産の代表格に成長した紅芋タルトの、そのオリジナルのメーカーが、
通りに出した大規模な土産店は、御殿、を名乗る。
帰りのために、ちょっと下見。
その手前も向こうも、お土産屋か飲食店か、コンビニとか。いずれにしても、にぎやかだ。
あれこれ途中立ち寄りながら歩くのも楽しいが、Kは割合無関心なようだ。
暑いのに、「帽子を(持ってくるのを)忘れた」、というので、
(私はちゃんともってきた。)通りがかった雑貨土産店をちらりとのぞいたりしながら
ほどなく公設市場まで来てしまった。
ここの入り口を入ってすぐのところに、かつて元気で超明るくて、どんぐり眼の愛らしかった
名古屋のYちゃんが、沖縄の人と一緒になって輸入雑貨屋をやってたはずだが…と、
大昔のことなのに今もあるのではないかと思えて目でそれとなく探したりする。
Kは市場の手前のドンキで麦わら帽を一つ買ってきた。
市場の通りに少し入り、そこにもう少し若向け?の麦わら帽が安く売られているのを
発見すると、
まあ、市場はいいや(省略だ)、と引き返すことに。

通りを外れると、今度は普通ぽい街中を、歩く。
美栄橋の駅も通り越して、国道58号線に出る。角にコンビニ。
少し立ち寄り、ここを右折して、さらに少し行くと、ついに到着。泊港、通称「とまりん」。
ここにもコンビニ。また入る。コンビニは安心感と楽しさがあって、ついつい吸い寄せられてしまうのだ。
慶良間・座間味の観光案内所があった。
島の地図(地図が好きで、どこへ行っても手に入れる。)とお店の載ったパンフレットをここで入手。
そして北岸にあるらしい高速船のりばへと向かう。
のりばの窓口で予約した番号を言って、きっぷを購入。
周りは新入社員ぽい人たちが目立つが、島で新人研修でもあるのかな…。
やれやれ(と、ここで、またもホッとする。やはり、ポイントポイントに到達するごとに、ホッとするのだろう。
船が出るまで、一服できるのだし。
Kと缶ビールを買って、船が停泊している真ん前で、腰を下ろして、飲む。
僕はレーベンブロイだ。自販機に、あったのだ。
内地では、そんなに普通には売ってないドイツビールなんだが…と思いつつ、見つけると迷わず選んだ。
レーベンブロイ。
若い頃、金沢でホテルマンを2、3年やっていた。30年も、前のことである。
バーラウンジでの勤務の頃、当時売られていた、ありとあらゆる、世界の酒を知ることができた。
あの街は素敵なところで、街の中でもふつうにレーベンブロイは飲めたし――
そう言えば生ビールのレーベンブロイを出してる店だって、そんな昔でも、あった。
僕はそれを気に入っていて、仕事あがり(夜勤明けなど。昼間っから。)、
ガラス張りの明るい喫茶店なんかに入って、ゆったり飲んだものだ。ああ、楽しかったなあ。
いろいろなお酒いろいろなビールが飲めた、のは、僕がホテルマンだったからだけではない。
あの街は、そんな多種多様な飲食を楽しむすべを知っていて、それが街の魅力にも、なっていた、と思う。

いよいよ(と、都度言うが―)出港だ。いよいよ離島へ出発だ。
座間味へ向かう高速船「クイーンざまみ」に乗り込んだ。




続きを読む
旅行 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ケラマ 島旅 ~沖縄へ 空の旅~

スカイマークの受付カウンターへ向かう。
旅の主唱者であるYが作成した旅の行程表には、8時50分までにそこに集合、とある。

旅のメンバーはY、O、T、K、そして私・通称L、である。
今はそれぞれ違う会社・団体で仕事しているが、大学をそれぞれ卒業して
同じ会社にまずは同期入社したメンバーで、今回初めての旅である。
YとOは、ゴルフに酒に、といつもプライベートの充実した遊び人?(Oはちょっと違うが後述しよう)で、
昨年もYの主導で慶良間(阿嘉島)へ行っているし、今年になってからも仲間たちと八重山へ行っているが、
自分を含め、ほかの3人は(少なくとも家族以外では)これまでなかなかこうした時間と機会は持てずに来た。
50代も半ばとなった今、それぞれがちょっと(立場的、あるいは業務的に)仕事に余裕ができてきたのか、
あるいは仕事を何とかして(そっちのけにして?)でも自分人生を優先することができるようになってきたのか
(ある意味、開き直って、いや熟練してきたのか―)
とにかく今回は、同期の仲間同士、貴重な男旅になりそうである。

今日のために3回ほど、“打ち合わせ”と称してアフター5に街で集合し、酒を飲んだ。
仲間旅は、こうでなくっちゃ。
打ち合わせらしい打ち合わせは、とうとう1回もなかったけれど、
事前に散々盛り上がって、旅のムードが醸成され、期待感が共有されるのは何とも楽しい。
旅の行程表は、その飲み会の、2回目に、Yが作って持ってきた。
初回で日程だけは決まったので、そのあとOがエアーをまとめて予約し、メールで全員に伝え、
2回目はその航空運賃の立て替え分を回収すると同時に、
スケジュールをざっくりと決める(泊りと、船を確認する)のが主なねらいだ。Yの行程表は、その大枠が、書いてある。
…などというと、あれで結構、打ち合わせになっていたのかも、という気も、してきた…

Yは、石垣島で、働いていたことがある。だから一番の現地通で、
毎年、沖縄のどこかへ遊びに行っている。沖縄大好き人間である。
Kは、学生時代にメキシコに行ったことがある。
ダイビングが好きで、当時から沖縄には何度も行っている。
サイパンで日本人受入れの観光の仕事をしていたこともある。
OとTは、技術系の出身で、仕事も技術畑である。
KとTは、バイク仲間でもあり、ツーリングも一緒に行ったことがある。
Tの、バイクへのこだわりようは、半端でないらしい。
Oと私Lは、数年前、一緒に道東へ、流氷を見に行った。素晴らしい旅だった。
Oこそは旅人。長期連休を利用して、ひとりで1週間ぐらいの旅に、毎年1回と言わず、ドン!と出かけてしまう。
そんな5人の、沖縄・離島への旅。

のはずだが、実は、きょう集合したのはKと私の、二人だけ。

本当は明日から3日間、木金土というのが当初案だったのだが、初回打ち合わせで、
私が土曜日にどうしても外せない仕事が入っていると言ってまとまらず、とうとう私が1日先行し1日先に帰ることに。
日頃忙しいKは「のんびりしたいんで」、と出発は私に合わせてくれ、帰りはほかのメンバーと一緒、
ということでまとまった。
エアー代金は超割だか早割だかでお得に予約できる頃だったのだが
私は休前日帰りとなり、その分みんなより結構高い運賃を払う羽目になったがこれは自分の仕事のせいで致し方ない。

さて、次は宿である。Yがすでに行程表に「予約済」と書いている。
1・2日目は座間味島、私が帰った後の3日目は渡嘉敷島の、いずれもペンション泊りとなっている。Yが調べて決めた。
座間味ではシラハマアイランズリゾート連泊、1泊2食付7,340円。
渡嘉敷ではボートシュノーケリング付きの宿泊で、ペンションシーフレンド、1泊2食付で11,000円だ。
面倒がない宿にした、と言っていた。
サッパリと男らしい、彼らしいストレートな選択だ。
自分は旅する時、結構、宿にもこだわる性質なので、自分も通勤時間につらつらと調べてみた。
どこもいたってシンプルな感じだが、沖縄らしい、好さそうな宿もあるではないか。
自分としてはせっかくの機会だし、Oが感動していた阿嘉島の海に自分も潜りたいものだと考え
そちらも調べてみた。が結局、Yが取ってくれたのに任せるのがいちばんだと、思い直した。
今回はひとり旅では、ない。コーディネート役は、Yだ。Yの言うとおりに行けば、それがベストだ。

次に船便は、モデル時刻でざっくりと拾ってある。が、これは私の行程がみんなと違うので、
私が一人で帰るにはもう一度自分でちゃんと調べ直す必要があった。
後日そのとおりにし、船便を全員・全行程分、私が予約した。
3日目は、私が一足先に午後2時のフェリーで那覇に向けて座間味島を出発。3時半の村内航路の船で
4人は座間味島から渡嘉敷島へ、渡ることとした。
ここで言っておくと、慶良間諸島は大きい島だけで言うと渡嘉敷島・座間味島・阿嘉島・慶留間島の4島ある。
人が住んでいるのがこの4つということだろう。
私のフェリーは4時に那覇着。帰りの飛行機は那覇空港発18時5分。名古屋着は20時10分。
4人はその翌日3時半に渡嘉敷島を出発。1日遅れの同じ便で、名古屋へと帰る計画だ。
こうして旅の行程は出来上がった。
後は中身を、いかに楽しむか、だ。

さて。
中部国際空港へ場面を戻そう。
(何でもいいけど、こんなにゆっくり書いていてはいつ最後まで書き終わるかわからない!
明日からまた仕事が始まる。平日夜は遅くなるし疲れるし、週末はと言えばまた別の予定があるのだ。
もっとピッチを上げなくては…!)

カウンター前の椅子に掛けてしばらく待つと、旅の相棒、Kがあらわれた。よかったよかった、まずはこれで旅立てる。
自由人の風情漂う彼は、ジーパンにTシャツ、そして小さなリュック、いやサブザック一つという軽いいでたちで現れた。
着替えとか、荷物は何も、無いのだろうか?!
サブザックには、携帯用の、三脚のように短くなる釣竿が1本、入れてある。うーん、なんとも彼らしい。
ところがこの、釣竿。3段ぐらい縮めてありずいぶん短くなっているのだが、係の女性が、
機内持ち込みは50センチまでとなっているので「一応測ってみますね」とメジャーを持ってきた。
測ってみると、なんと58センチ。8センチオーバーで、持ち込みアウトだ。
Kとしては、“こんな安い釣竿、ほとんど使ってないし、現地で捨ててきてもいい”ぐらいに思って、気楽にサブザックに放り込んできただけのつもりだったようだが、ちょっとだけ面倒くさいことに。
すっと乗り込めるつもりが、若干(荷物を預け&受け取るだけのことだが)手間と待ち時間が、発生することになった。

搭乗手続きは、そのやり取りの前に済んでいるが、こちらは至って簡単、なのであった。
昨年冬の札幌出張以来、と先に書いた、空の旅。その時も驚いたが、まるで地下鉄に乗るか、いや、劇場に
入るぐらいの感じで、今は飛行機に、乗れてしまうんだ!!(?)と、かつてのものものしさを知っている者としては
実に拍子抜けする、空の旅の始まり、なのであった。

学生の頃、1年留年してバイトしてお金ためて、卒業間際になって、やっとたまったお金でアンデスにひとり、旅した。
全然、旅の方法も事情も何にも分からないので、
当時愛読していた『中南米音楽』という雑誌にいつも広告の載っていた金城旅行社を、まずは訪ねた。
金城トラベルは、リマが本社の日系旅行社。
東京ミニ周遊券、という、当時あった、1週間東京都内をフリー区間として移動できるきっぷを持ってひとり上京し、金城トラベルを訪ね、旅の相談をした。
と、かつての国際空港(成田)初体験を、語ろうとし始めたようだが、
ここでそんな昔の話を始めたら、いよいよケラマが、終わらない、始まらない。

旅の人生88ヶ所めぐり、と題して密かに始めたこの手前勝手なブログ。
このときのアンデスひとり旅、以降を対象期間としている。
それまでにも旅はあった。小さい頃は家族で、きらきらと輝く美しい想い出。
大阪万博の旅は大きな影響を受けたし、高校時代の合宿も楽しかった。
大学時代も友人と面白い旅をした。
けれどこのときの(アンデスの)旅が、自分人生の始まりだった、と言える大きな区切りとなっているからだ。
このときから、自分歴、という暦をつけている。留年の1年を自分0年、旅した年を自分元年(1年)とする暦だ。

想いはつぎつぎと拡がってとどまることがないのだが、なんとかここで本題に戻そう。

持参した予約確認書のQRコードを搭乗券の自動発券機?にかざしただけで
手荷物検査に進む。
いや、そういえば予約確認書は、Oが私の分を予約・出力したので、私は私(搭乗者)であることを証明する
公的な書類が要った。免許証で、これはクリア。
手荷物検査も難なくクリアし、久々に、空の旅、いよいよだ。

このように、今日の空旅、いかに簡単になったか、という話だが、いま気が付いた;
国際線は別物だ、ということだ。国際線は、きっとかつての比じゃないだろう。
最近出かけてないから自分は知らないだけのことで、おそらく以前より検査がシビアであるに違いない。
ここ10年近く海外に行ってないからうっかりしたが、直近のオーストラリア行きは、そうでもなかった印象だが…。
自分も近いうちに海外へ行きたいと考えているから、そのときはまた、このブログでレポートしたいものだ。

国内線は、簡単になった、って?
それは確かに言えるとはいうものの、やはり気を付けなければならないことはある。
さっきのように、機内持ち込み手荷物のはずだった小さなサブザックからぴょこんと飛び出していた、
畳んだ釣竿一つが引っ掛かったように。
こういうこともあるわけで。
やはり空の旅は早めの到着、早めの手続きが肝要なようで。
空港までの電車だって、いったん事が起きれば、もうアウト。踏切点検ぐらいで一時的に停車するならまだしも、
万が一、人身事故にでも遭遇しようものなら1時間はショートする。
そうした場合、駅間の途中で止まったまま動かなくなるので乗り換えも何も不可能だ。
飛行機に乗るときはいつもそうしたリスクを見込んで家を出るから、
こうしてようやく無事に、まずは飛行機に乗り込めると、旅のスタートラインについたという実感と同時に、
またしても“やれやれ”と、ほっと落ち着くのである。

機種は、B737-800。
機内誌の『翼の王国』を見ると、全長39.5メートル、全幅35.8メートル。座席数は166~176席、とある。
ぶっきらぼうに見えるKだが、搭乗口を抜けて、いよいよ乗り込もうと進んでいるとき、二人で撮ろう、と僕を呼び止めた。
機影をバックに記念撮影。スマホで、さっと自分撮り、だ。
スマホは、ほんとにすごいと思う。こういうものに奥手な自分だったが、もう始終、お世話になっている。
われわれの座席は、5A(窓側)が私、隣り5BがKだ。ずいぶん早く予約したからか、前のほうが取れている。
9時35分発の、551便だ。

スカイマーク、初体験。機内では、各種100円のドリンクからホットコーヒーを所望して、Kといろいろ話した。
彼とこんなに喋ったのは初めてだ。
いい時間を、過ごした。彼の人生経験を、あらためて本人の口から、聞くことができた。
僕のほうの話は、あまりせずに済んでしまったが、私はかつていろんな人に取材し記事を
書いていた頃もあるので、こうした機会をとらえて人の話(キャリア、というとビジネスぽく聞こえるかも
しれないが、その人の経験と、思い)をじっくり聞き出すのが好きなのだ。
ここで彼のことをあれこれ勝手に書いてはまずいので残念ながら書けないが、彼は私とは正反対、と言ってもよい
タイプなのだ。勉強ばかりしていそうで生真面目な(少なくともそう見える)私と違って、
スポーツマンタイプでカッコいい奴で、営業感覚にも優れた男なのだが、案外歴史やいろいろなことにも興味を
持っていて、いつも飾らず、文庫本を読んでいる、という、我々の年代らしい奴だ。
だのにわれわれの同期には意外とそんなやつがいないときた。
だから私とKは、案外タイプは違っても気が合う(と勝手に私は思っている)。
そんなKと、今回が初めての旅。
夜は一杯飲みながら、われわれ同期5人の、30年にも及ぶ職業人生を確認しあう旅になるのかな?と
機中にて想像する。(ヒマな)時間はたっぷりあるぜ!とKが飲みながら言っていたっけ。
明日はそんな、やかましい(?)Yら3人がやってくる。
フライトの最初のうちは、御嶽の噴煙は見えないかな?などと思っていたのだったが
いつのまにかサンゴ礁できれいに縁どられた島々が
大海原にぽっかりと浮かぶダイナミックな景色を眼下に臨む。
もう目が離せない。
しゃべってばかりいる場合ではなかった。

来たぞ。いよいよ。
沖縄の海(那覇へ向かう空から)


旅行 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ケラマ 島旅(序章)~始まりは、いつもの名鉄 セントレアへの旅~

ミュースカイ 旅のスタート
いつもと同じ6時に起きて、いつも乗る国府(こう)行き急行をホームで見送り、その後を追う名鉄特急「ミュースカイ」の人となる。
座席は一昨日、窓側を確保した。3-12A席は3号車の一番後ろで、連続した窓から、過ぎ行く景色やホームの様子が実によく見える。
いつも乗り換える名鉄名古屋駅の地下ホームに、いつものように並んで待つサラリーマンの姿を、今日は車中の人として列車側から眺める。
毎日そのホームに並んで中部国際空港行き特急ミュースカイを見送る私だが、今日ばかりは違う。
いつも黒いリュックに重そうな荷物を入れて最前列に立つおじさんの姿も見える。いつもはその後ろあたりに立つ私だが、今日は斜め前から見る。そのおじさん、いつも目的の電車が到着すると、人々が降りるのを待たずそそくさと乗り込み、混雑する車内を、両手を合掌の形のように尖らせてずんずんと割り込んでいって自席を確保しようとするのだ。きっと今朝も、この特急のすぐ後にくる急行で、同じ行動が展開されるのだろう。そう思うと、そんな行動もなんとなく微笑ましく思い出される。
いつも出勤の中継点であるこの活気ある(慌ただしいともいう)名鉄名古屋駅。ここのホームで、毎日、持参したPETボトルからエビアンをごくごくと飲むと、やれやれ、これで一息、と瞬時にくつろいだ気持ちになる。今朝はこれを特急の人となって車中にて一服。格別である。
私の隣の座席に座っていたご夫人は、毎日この有料特急に乗っているかのような落ち着いた風情でしっくりと指定座席に収まっていた(ゆったりと眠っているようだった)が、列車が名古屋駅の隧道へ入るなりすっと起ち上がって荷物をまとめると速やかに立ち去った。

いつもの様子を違った視点から眺めるのは面白くもあり、なんだか不思議な感じもする。それは例えて言うなら自分の魂が体から抜け出て、少し離れた方向から自分たちを黙って見つめている感じ、とでもいうのだろうか。
いつもは一緒に電車に乗り込むこれらの人たちは、いつもやり過ごす特急の、車中からの視線が、いつもならそこに一緒に並んでいるであろう、ひとりの中年サラリーマンから、自分たちに注がれていることに気付くようすはない。

特急ミュースカイの客は名鉄名古屋ですっかり、と言っていいほど入れ替わり、名古屋から乗り込んできた人々はみな一様に、と言っていいほど旅行用トランクのカートをコロコロと引いている。
つまり空港行きだから当たり前なのだが、たいていはセントレア(中部国際空港)から空へ旅立つ、旅の人なのである。(でなければ、空港で働く人たちだ。)
いつもは私もこの、どちらかというと特急ミュースカイに乗り馴れていない旅人たちが戸惑いながら自分の座席のある車両めがけて急ぐさまをホームで目にしているが――そうした様をなんとなく眺めながら、そのうち僕も、大きな荷物を持ってセントレアへ向かう人になっている日もあるんだぞと、明確に意識こそしないが何とはなしにイメージしたことも何回かあったことを思い出しながら――、車内で見るその人たちの姿は、やれやれ…いよいよ旅がここから始まったぞ、という充足感というか安心感というか、あるいは期待感というのか、そんな感じをすでに漂わせているのであった。

列車は続いて金山、神宮前と、3つ続く拠点駅で客を入れ替え入れ替えし、そこからは一路セントレアへ向かった。
ほかの人たちのように途中で乗り換えなくてよい私には、360円の特急料金がとてもお得に感じられる。
座席の前面、つまり前の座席の後ろ側の網ポケットに、名鉄の沿線情報誌WIND(ウィンド)が1冊はさまれてある。今月号の特集駅は、○○○駅。私がいつも降りる、つまり通勤している駅だ。これもなんだか不思議な巡り合わせのように思えたりする。いつもの日常をしばし離れ、旅の出発。道中の無事を祈りつつ、車窓の風景を眺める。

旅の中で好きな時間は、こうして移動中の時間だ。ノンビリとしているうちに、少しずつ目的地へ向かっていく…少しずつ遠く離れていく…、それにつれて期待感がいよいよふくらんで行く…、それが楽しい。少しでも遠くへ行くことが、うれしい。(だから同じ移動中でも、帰路はまたまったく異なる心境となる。)
旅には、文庫本を持っていったりする。ガイドブックもよく選んで1冊は持っていく。しかし今回は友人に頼り、例外的にガイドブックも持たず、何人かで行くので文庫本も敢えて持たない旅である。こうしてぽーっと窓の外を静かに眺めて居るだけの時間、心に映りゆくさまざまな記憶や思いをひとり反芻する時間が、ことのほか好きである。

不思議なことに、今回の旅、いつもと同じ時刻に家を出ればジャストのエアーである。スカイマーク。初めて乗る。
久々の空旅だなあ、いつ以来だったかなあ、と車中にて少し思いを巡らす。そうか昨年の年明け、冬の札幌出張以来だ。それから以後は九州も四国も、なんとバスで行ったのだった。バス以外は、鉄道(JR)利用。
そうこうしているうちに、列車は常滑(とこなめ)を出て、埋立地である前島を過ぎると、いよいよ空港島に渡る。
橋を渡りきると特急は進行方向へ向かって左側に大きくカーブしながら終点へ向かう。そのとき左の車窓に見えるのが貸切バス駐車場だ。中部国際空港建設時、まだ何にもなかったこの空港島で、このスペースを整備する仕事に携わっただけに、否応なく思いは高まる。
ほどなく列車は中部国際空港駅に到着。ホームに降り立つと、家を出る時―の緊張感―とはまた違った、いよいよ旅のスタート地点に立った、というある意味“自由になった”開放感と、同時に“ここからだ”という身が引き締まる感覚を覚えた。
アクセスプラザ、とここの空港が言っているセンターエリア(すべての乗り換えがここ1か所に集中させてある)の真ん中にある案内所ブースにちらと目をやりながら国内線乗り場方向へ急ぐ。このブースの一角に、開港当初、バス案内カウンターがあって、スタッフの女性が乗合・貸切バスの案内を行っていたのだ。現在、それは消えてしまい、観光・タクシー案内カウンターとなっている。
開港時、いや開港どころかこの人工島がまだ存在しない頃から、中部空港へのバスアクセスを検討・集約・調整し、バス乗り場を建設する仕事に携わってきた私としては、案内カウンターがその後なくなってしまってたことはやはり寂しいが、今日もハード部分――すなわち自分で検討し作った乗り場のポールであったり乗り場・路線の案内表示板であったり外国語対応の自動券売機であったり――が、今回は見ること無く来てしまったが(きっと)まだ残っているであろう(ただし、ポール以外は、早晩変わっていくであろうが…)ことは、当時は自分も必死で(文字どおり寝る時間もなく働いた)考えもしなかったことなのだが、自分の仕事の跡が残っているということ、それを多くの人が今日、日々利用してくれているということであり、実にありがたく、うれしいことだなあと思う。
旅は、始まっている。
今年国立公園に指定された、慶良間諸島。座間味島へ、初めての旅である。ごく親しい仲間と、5人での旅である。

旅行 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| ホーム |