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旅の人生88ヶ所めぐり

忙しくても、自分の行きたいところへとにかく行こう。行きたかったところを、一つずつツブして(かなえて)いくのだ。ある地へ行ったことが、その後の人生に影響することも多い。旅に憧れるロマンチストは、そうして自分だけの旅の人生遍路を辿り、完成させていくことで、自分の人生を極大まで充実(即ち満願成就)させたいと願う。ここでは、私のささやかな八十八旅を、自由にクロスさせながら拾い上げていきます。

WARAを聴きながら

今日は雨ふり。
洗濯ものを室内に干しながらWARAのCDを聴いている。
Boliviaのフォルクローレグループ。往年の、と形容詞をつけねばなるまい。
大好きなGrupo Aymaraと同時期に、70年代半ば以降、そのAymaraのメンバーが参加して
電子楽器を駆使してアンデスの伝統音楽を、その根っこ・彼らのアイデンティティを
きっちり押さえつつ、創作を含め新しい表現を試みた優れたグループ。
今も時々こんなときに聴いている。
フォルクローレはスペイン語でいうalma(アルマ。魂、というのか)にぐんぐんと迫ってくる、
というのか 効いてくる何かがある。
僕の好きな音楽は前も書いたがほかにアイルランドの、いわゆるケルト系があり、
この二つはある程度詳しい。
(いや、アンデスのフォルクローレは、自分でも演奏してたこともありやたら詳しい。
WARAはボリビア、La Pazラパスのペーニャ・ワラで聴いた。日本には主力メンバーが80年に
Ernesto Cavourエルネスト・カブールとともに来日しているし何年か前、Waraとしても初めて
来日し再会もした)
あと沖縄、それとかつてはインド、インドネシアや世界のいわゆる民族音楽情勢にはかなり
詳しかったのだが
(この、後に書いたほうは今の状況を知らないのでもう語れないなあ。それぞれの伝統と、
80年代までに活動した革新的表現者たちまでは、けっこう語れると思うんだがなぁ)
ケルト系音楽はやはり深く心に響くがこれがスペイン語でいうcorazon(コラソン。こころ、
というのか)に心地好く響く感じ。
これはきっと聴く脳の部位が異なるのではないか。
僕は社会学出身だが社会学には音楽社会学、という分野があった。心理学にも
音楽心理学、というのがあるだろう。
クラシックと学習効果なんかについて聞いたことがあるが
ジャンル別に脳のどこに響いているか調べてみたらいろんなことがわかるに違いないと思う。
誤解を恐れずいえば、フォルクローレを愛する人はきっと“うつ”にはならない。
そんなある種のふてぶてしさ、本能的な、情動的な、ある部分がこの音楽に刺激されて
響いている(同調している)と思う。
ケルトとフォルクローレを愛する人は同じファンが多いがそういう人のタイプがある。
どちらか一方のファンのタイプもある。
僕は文化センターで仕事してたことがある(なので好きな講座をどんどん募集した)から
よくわかるが
これは音楽に限らず、好み・嗜好は人のタイプにより傾向が分かれる。
たとえば日本酒(がいろいろ飲めてうんちくもしっかり学べる本格)講座をやれば
集まってくれる女性のタイプは…
…いや、どうもなかなか本題に入れず前置きに終始してしまいそうだが…
そんなよぶんなこと喋って(書いて)いるうちにWaraは終わってしまったではないか。

音楽を聴くときの気分、というものがあるだろう、
ちょっと一服、くつろぎたい時。疲れて帰ったとき。愉快に飲んで帰った時。
あさ良い気分で目覚めたとき。
いや待てよ、僕の場合、今書いたいずれもフォルクローレかアイルランドか、でなければ
クラシックだ。
ショパンと、ベートーベンがいちばん好きで、子どものころからしつこく聴いていた
(というのは半分ウソで、兄が毎日毎日飽くことなく、一日中大きなステレオでクラシック
聴いていたので僕はなんとなくBGMとしてさまざまなクラシックを聴いて(聞こえて)育った、
というのが本当のところである)。
庭の草取りをするときはモーツァルトをかけて始める。とか、ほかにも
考えてみるとちょっとした使い分け(聴き分け、というべし)もしているような感じもあるけど、
まあ概ねその三つだな。
で、旅の人生哲学に、欠かせないのがこの音楽であろう。
ハワイにこころがとろけてしまうのは、あの甘ったるいハワイアンの響きと一体なのに
違いない。
まるでお風呂に浸かっているときのような心地よさだ。きっと脳からドーパミンが
じんじんと放出されていることだろう。

これからも 旅をテーマとしつつ
というより 旅をテーマとするからには 音楽についても語っていくことになると思う。
それが自分にとって
不離一体の人生哲学だと思うから。よろしくお願いします。


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蛍舞う夜

古い友人と二人、知多半島のほぼ中央部、阿久比(あぐい)の休耕田で今週、ヘイケボタルを見た。
感動した。
これまで見た中で、いちばん印象が深いのは岐阜県の恵那で
夜ごと、うっとり(じっくり、かつ、しっとり、という感じ)見た美しく光るホタルたち。
同じ岐阜の、各務原の川沿いでも見たっけ。
だがそれ以外、あまり印象に残っていないのが本当のところ。
友人がこんな風流なやつとは知らなかったが、見たいのだと言う。
名古屋での仕事を終えてから、夜7時半過ぎに名鉄電車の小さな駅で待ち合わせて
だれ一人いない、暗くなりかけの田圃道を、
迷いながら(スマホで自分たちの位置情報を都度確認できなかったら
違う道をどんどん行くうちに真っ暗になっていたろう)なんとか会場に到着。
ネットで調べては来たのだが、それにしてもこんなに大勢の人たちが集まっているとは…
数十人の家族連れや地域の人たちが
小さな川の両側に集まって熱心におじさんの説明を聞いているではないか。
(このおじさんこそ説明熱心で、その保存・保護活動の姿勢には感謝・感心するばかりだ。)
そして周りにはなんてたくさんのホタルたち。何十という小さな光が、そちらこちらに。
養殖されたホタルの入ったケースがずらり並べられた小屋(電気のなかったころの
ホタルの明かりはこんなだった、こんなふうに光って、暗闇の夜を照らしていたと
往時を再現しているのだという)の中は圧巻。
くるくる回ったりスッと一直線に飛んだり、ぼーっとまとまって光っていたり。
ホタルの光はぼんやりと点滅を繰り返すものと思っていた私は、その光り方の多様さに驚いた。
そしてその舞いの、うつくしいことに感動してしまった。

ほんの近くの知多半島に、たっぷりの自然。それをしっかりと守り、伝える人たち。
全然知らなかった。
ちいさな旅。でも本物を発見した。番外編、でした。
(それにしてもなかなか本編が出てこないなあ…)

ここに写真や動画をアップする方法を、実はまだ知らないので見ていただけないのが
自分でも歯がゆいばかり。ほかごとばかりしてないで、早く載せ方を調べなきゃ。
わかったら、追って掲載したいと思ってます。今日はこれまで。
明日は早いので、これにて失礼します。おやすみなさい。
阿久比のホタル

P.S. 写真を、ようやくアップできた。だがこれでは何だかわからない…。うーん、もう少しちゃんと撮らねば。
四国霊場のもこれから1枚入れてみます。
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