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旅の人生88ヶ所めぐり

忙しくても、自分の行きたいところへとにかく行こう。行きたかったところを、一つずつツブして(かなえて)いくのだ。ある地へ行ったことが、その後の人生に影響することも多い。旅に憧れるロマンチストは、そうして自分だけの旅の人生遍路を辿り、完成させていくことで、自分の人生を極大まで充実(即ち満願成就)させたいと願う。ここでは、私のささやかな八十八旅を、自由にクロスさせながら拾い上げていきます。

ご無沙汰ブログ

何と長期間、ブログを休んでいたことか。
といっても、どうも誰も読んでくれてないようであったので、影響はない。なかったろう。
訪問者リスト、というもので確認できるので、誰も、というのは正確には間違いであるが、
いったい何人の人が、私のページを開いてくれていたのだろうか。
訪問者数を、確認する方法があるのかどうかも知らずにブログを始めた私。
この間、1年以上のブランクは、実はパソコンが突然壊れたことによるのだ。
たいへん苦労した。が、直った。直した。直すことができた。
メールはすべて、消えた。でも、直って何より。あはは…。よかった、よかった。
だが。私はこのブログを書く方法(つまり管理・編集画面へのアクセス方法)を、
なんと、最初に設定完了したときの着信メールにのみ頼るという
なんとも横着な態度でいたがために、この初回のメールが消えるとともに
どうアクセスすればいいものかがさっぱりわからなくなってしまったのである。
だから、もういいや、面倒くさい… と放擲してしまい、
いや さいしょは慌てふためいたのだったが、パソコン修理に右往左往する中
仕事はたいへんな状況だ、他にもあれだこれだと、
対処しなければならぬ問題課題が続き、とうとうこのブランクと相成った次第である。
ではどうやって、ついにここへ戻ることができたか?!?
それを書く時間は、無くなったようだ。
と、久しぶりに前と同じく書きっぱなしでこの作業を終えようとしている。
なぜって、(やっぱりこれを書きたくなる時は、これまでいつもそうであったように)
ナイトノイズの調べが、終わってしまったから です。
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雪のメロディー

今日はこのあと雪が降るとの予報、
空を眺めたらどんよりと重い灰色が一面に広がっている。
1週間分の洗濯物を部屋干ししながら、休日の静かな朝、
ひとり、冬のメロディー「ケルティック・クリスマス」の(、これは確か)Ⅰ(1995年版)を聴いている。
どの曲もよいが、始まった…ナイトノイズ「Snow on High Ground」、
雪の情景を描写したこれほどの名曲を、僕は知らない。

もうひとつ、大好きな雪のメロディーがある。
ボリビアで1970年代にすばらしい活動をしたルパイの
「Paisaje de Nieve(雪の風景、雪景色)」だ。
アンデスでは知られた伝承曲に
Nevando esta(雪が降っている)という曲もある。
しんしんと、雪が高地に降り積もる情景が目に浮かぶような名曲だ。
遠い異国の(という表現は、近年しなくなったなあ…)メロディーでありながら、
いずれもわれわれ日本人の季節感(情趣を愛する徒然草的な)と驚くほど重なって
しみじみと感動を、しばし味わえる。
ルパイ(ロス・ルパイ、初期はキンテート・ルパイ)というフォルクローレグループ、
日本ではほとんど誰も知らないだろうがヨーロッパでは結構多くのCDが出ていた。
ぼくの周りのアンデス音楽ファンの間ではとても人気のあった曲だ。

ナイトノイズのもルパイのも、ごくごく短い作品だが、軽作業のつかの間、ふと引き込まれ、
1曲終わると心が洗われている、という感じだ。
いや、ルパイのほうは洗われるという以上に、雪の冷たさをものともしない熱さを心に灯してくれる。

雪のメロディー、と言えば
雪の降る街を。
亡くなった親戚のおばちゃんが、生前、
雪の日にラジオから流れたこの曲を聴いた瞬間、恨んできた夫のつらさがはじめてわかり懺悔した
と泣いて話していたのを想い出す。
10年前、東北をひとり旅したとき立ち寄った鶴岡で、この歌のいわれを知った。
アダモの「雪が降る」、も(というより「こそ」というべきなのだろう)名曲だ。
そうだ、「粉雪」という名曲もあった。
かつてカラオケで絶唱した時も、クルマを運転中に流れてきても
なぜか泣けた。この冬もカーラジオから流れて、思わず泣いた。
雪の思い出が、そうさせるのか。
雪の想い出。

たくさんあるんだ、雪の名曲。

ぼくの挙げたのはとてつもなくマイナーな2曲だけれども
ちょっと興味がわいたならぜひ一度、探してでも聴いてみてください。
あなたのおすすめの、いや、あなたのこころの1曲、
知られざる“わたしだけの、雪のメロディー”もどなたか教えてくれませんか。
どなたか…
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アトリエ・ファウニのムーミン人形 を書く前に  ~Matasitemo~

本屋の話を書いた。
いま自分の書いたものに目を通してみて、本屋の思い出は
結構あるということに気が付いた。

中学の帰り、毎日のように寄り道した、喜多山のふたば文庫。
ごくごく普通の、地域に必ずあった本屋さんだ。
ちょうどそのころいい具合に通学路の中間点にオープンした。
創元推理文庫を毎日少しずつ読んで1冊読み切った。
「吸血鬼カーミラ」とか、短編集が好都合だった。
その頃創刊された、やなせたかしの「詩とメルヘン」や、
やはりその頃始まった分冊百科の先駆け、「アニマルライフ」。
いくつもの雑誌・本を立ち読みした。ときどき、買った。
「どくとるマンボウ航海記」の北 杜生が、
中1当時の僕が文庫本を読むきっかけになったような気がする。
当時すでに大学生であった読書家の兄の本棚から
サン・テグジュペリの「人間の土地」や中公新書などを勝手に借りて読んだ。
テグジュペリではやはり中学生らしく?「星の王子様」のほうをすらすらと暗唱していた。
中1の頃テレビで放送されていた初代「ムーミン」が大好きだった(ことは書いたような気がする。
上の姉がちょうどOLになって、会社帰りにトーベ・ヤンソン全集を毎月1冊ずつ買ってきてくれたことも
すでに触れたような気がする。)から、
暗唱、と言えば何と言ってもムーミンの原作であった。いつも読んでいたからあらかた暗唱できた。
とりわけ好きだったのは「ムーミンパパの思い出」に登場するお化けのセリフであったが、
テレビの「ムーミン」も録音してスノークの広川太一郎の声を得意げに披露していた。
話が飛ぶがロマン・ポランスキーの映画「吸血鬼」の日本語訳せりふも面白かったので記憶していた。
話がムーミンに向いてきたが…
ここではいったん話を本屋に戻そう。

とりわけ暑い夏は、家との中間点にあったふたば文庫は、
店の冷房で汗を乾かし一休みできる有難い休憩場所、
大げさに言うとオアシス、今のテーマに沿って言えばそれこそ
(学校からの帰り道に姿をくらます)「隠れ家」だったのではなかったか。

あるいは僕の金沢時代、ビアガーデンで雇用していた金沢大学の学生アルバイトMが、
(そんなガラでもないくせに)いつも女の子と待ち合わせに使っていたうつのみや書店。
格好つけて4階の美術書売り場を指定していたっけ。静かでいいんだとうそぶくM。
いやいや、金沢時代はうつのみや書店より、何といっても香林坊の福音館書店だ。
2階の喫茶に腰かけると店の正面の横断歩道を眼下に見下ろす好立地。
何で横断歩道が好立地?と人は思うだろう。
全面ガラス張りの2階前面が喫茶スペースで、そこから中央公園・文学館の方がワイドに見渡せた。
真下に目をやれば店の正面の横断歩道。信号待ちの金沢の善男善女が、
それぞれに用事の狭間の一瞬に、ここで立ち止まってただ信号を待つ姿を、
ぽーっと何となくも眺めながら、本を開いてコーヒーを飲むひとときが、
僕は楽しかった。

全面ガラスの喫茶店がぼくは大好きで、金沢では幸町のグッチが特にお気に入りだった。
毎週金曜日であったか、大きなスケッチブックを小脇に抱えてその店に入り、
夕方からのスペイン語クラスのための
予習をした。スケッチブックだったのは、クラスがハードで、
ページをめくっている隙もないほどのコトバ(スペイン語)の洪水であったから、
ひとことも聴き逃すまい、と大きなノートに絵のように何もかもぐちゃぐちゃにメモしまくるためであった。
グッチでの予習は、ちゃんとテキスト(も一応あったので)を読めるように単語などを調べて臨むための貴重な時間なのであった。
ホテルでの勤務を終え、明るいうちに仕事をあがって、さあ今日もヤルゾと
意気軒昂に北鉄バスに乗り込んで、週に一度、幸町へ向かうのだった。
だがクラスは幸町ではなかったかな?
どこだったかな…、社教センター、という所だったような気がするが…。
クラス(スペイン語でクラセという)は、ホセのクラセ、という自主学習講座で、
銀行マンでアルゼンチンタンゴを愛する、いつもにこにこ優しい笑顔の常山さんが、
当時金沢で生活していたコロンビア人の若手彫刻家ホセ・バネガス氏に講師をお願いして
開講していたもので、常時7、8人か、それ以上の人が学んでいたと思う。
ホセは当時まだ日本語を全然しゃべれなかったので、われわれはいつも必死でかれの言葉を聞きとろうとし
理解しようとしこちらの言いたいことを伝えようとした。
ハードなクラセの後がまたお楽しみ、片町・香林坊へみんなで繰り出して、セグンダ・クラセ、つまり第2部、
言ってみれば2次会を、毎度楽しんだ。
あの時のメンバーは皆どうしているだろう。

また本屋の話からそれてしまった。
いや、本屋の話ではないのだった、それは書き出しで、またしても、
Matasitemo, ムーミンの、めずらしい人形の話を書こう書こうとしているのに、
今日もそこへ到達できぬまま、今宵も更けていってしまった――

ぼくは、その珍しいフィンランド製のムーミン人形を、持っているのだ…。





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ナイトノイズ 貴重なアルバムをLP盤で聴ける日

不思議なこともあるものだ。
一昨日 夜、ブログを書こうと(その気分になろうと)
ナイトノイズのCDを、母の残した古いラジカセに乗せたら、
ふと 唯一未入手の彼らのデビュー盤、というかデビュー前のアルバムというべきか
NIGHTNOISE/Billy Oskay and Micheal O’Domhnaill(1985)
は(中古市場に)出ていないかな??…
と思い立ち、ブログの前になんとなくネット検索してみたのだ。

(度々書くけれど)夜の静かな時間を、ナイトノイズか
ウィンダム・ヒルのケルティック・クリスマスか(ケルティック・ハートビートも良いなあ…)
でなければChopinかBeethovenを聴きながら過ごすのが
この上ない充実した時間となる私。

――これら以外では、なんといっても(ここでだいぶ一般的にはイメージの異なる音楽が登場するが)
ボリビアのルパイRuphay、伝説的な存在であるグルーポ・アイマラGrupo Aymara
またその別働隊としてスタートしたワラWara、…といった70年代のボリビアを中心とした、
生き生きとしていた時代のフォルクローレが素晴らしい。
一方で、ひなびたアンデスの伝統的な奏法や歌唱法を、音程がずれていても恥ずかしげもなく?
披露してくれるローカルな音楽家たちのアルバムにも素晴らしいものがある。
Duo Tradiciones や Alfredo Cocaの、憂愁を帯びた彼の地の古典的でロマンティックなメロディも、
心をダラダラに(!)ほぐしてくれる(ここは、酔わせてくれる、と表現すべきか)うえ、その時々の旅を、
ややメランコリックに思い出させてくれもして、この上なく良い時間を過ごさせてくれる。――

ナイトノイズはその1枚を除き、すべて手に入れたが、その1枚だけはネットで調べても
なかなか出回っておらず、あればたいへん高価で、貴重品であることを窺わせていた。

それがなんと。出ているではないか。
しかも、目を疑う安い値段で。ヤフー・オークションだ。
ここで購入したことは、一度もない。だが、これは手に入れないと!!
なんとしても!!
即、入札参加。
前日に、出品されたばかりか?であるとすれば何という幸運。
あるいは、売れずに自動延長されていたものなのかもしれないな、とも思う。
でもそんなことはどうでもよい、とにかくこれは買わなくては。
そして落札。購入に、こぎつけた。
誰も買わないのかもしれない…だってこれ、LPだもの。
しかし、かれらの最初のアルバムである。しかもUSA原盤とある。LPこそ素晴らしいではないか。

わたしは今も金沢時代に買ったステレオを大事に持っていて、
長年ずっと休眠しているが(つまり使って来なかったが)
昨年、ちょうど今頃、○十年ぶりにLP盤を、やはりネット購入(オークションではない)したとき
久々につけてみたら、ちゃんと昔と同じような深い音を、聴かせてくれたのだった。
そのときの1枚はアルゼンチンのハイメ・トーレスの、超貴重な、長年探し求めていた『地の人』
であることは、もしかして先に書いたかも。
大学1年の時、Los Calchakis の『アンデスの笛』を大事に聴いていた私に、
1年先輩のEさんがエアチェック(ラジオからカセットに録音することを当時そう言っていた)したカセットテープを
貸してくれた中にそれはあった。
近年話題の「ウユニ塩湖」の存在は、そのアルバムに収められた名曲「ウイウニの塩山」で知った。
38年も前のことである。
リディア・トラーバの優しい声とチェロの響きに魅かれ、本で調べた現地の広漠とした光景、
干上がった白い湖で、日焼けを防ぐため顔や全身を覆って黙々と塩を切り出す人々の写真に、
こんな遠い異国の地へ、行ってみたいものだと、あこがれた。
そのアルバムには、ボリビアのスタンダードな伝承曲と、ハイメのグループのオリジナル曲が
絶妙の取り合わせで収められており、いまもわたしのもっとも好きなフォルクローレ・アルバムのひとつだ。
チャランゴが出しゃばらず、サンポーニャやケーナとともに心地好く響き、心地好く聴き終わることができる。
その1枚を、カセット1本で聴いていた昔。ただし一部の曲が、入っていなかった。
だから、その10年後くらいか、蒲郡の木下さん(ギタリスト)に全曲収めたカセットを送っていただけたときはうれしかった。
ただ残念なことに、うち1曲がレコード盤の傷で、同じところばかり繰り返し録音されていたのには閉口したのを憶えている。せっかく録っていただいたのだから木下さんには感謝しかないわけで、そのためそのことはついに言わずじまいである。
レコード盤の時代は、そんなこともあったということで。(苦笑)
そして昨年8月。初めて目にした・そして手にした『地の人』日本盤。うれしくないはずがない。思わずジャケットとともに、写真におさまった。うれしそうな顔で写っている。

そして今年9月。もう1枚のLPゲット、である。

昔集めていたLPは、100枚を下らない。貴重盤もあるが、ジャンルがマイナーすぎて、売れるものではないだろう。が、世界には、わたしのようなヘンな人もいるわけで、もしかしたらちょっとは売れるかもしれないなあ…。でも売る気もしないし。いまもレコード盤の音が好きだし。CDでは再現できないあの音の厚みが、深さが、好きである。
やはりわたしはアンデス・フォルクローレと、このアイリッシュ・ミュージックだ。

LP代金は、きのう送金を済ませた。
届くのは、いつかな。本当に、届くかな。ちゃんと、ちゃんと聴けるかな。…
レコード盤を、そのジャケットを、両手で挟んで持って、しげしげと眺めるのを、
そしてパイオニアのプレーヤーにそれを乗せて、オーディオ・テクニカのカートリッジを先端に付けたトーンアームを
ターンテーブルの上で回転するLP盤にそろりと乗せるのを
(チリチリと、ノイズがする。
ナイトノイズ。)
心待ちにしている。


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ナイトノイズを聴きながら

久しぶりに静かに音楽を聴きながら部屋で夜を過ごしている。

(ブログを)書こう書こうと思いながら今日まで来てしまった。
昨日、仕事帰りの電車の中で久しぶりにわがブログをスマホで開いてみたら
うっとうしい広告が僕のブログに、僕の嫌いな今日的世俗の代表みたいな広告が!
わいているではないか!まるで、大事にしまっておいた大事な服に、虫がついたみたいに!
そうだ、かつて大事にしまっていたサンポーニャに虫が湧いたことがあったなあ…
ボリビアから持ち帰った大事な楽器だ。
学生時代、一緒にアンデス・フォルクローレを演奏していた同好会仲間の間で
ボリビア虫と言っていた虫がいた。葦を喰う奴で、放っておくと大事な楽器に穴が開いて
楽器をダメにしてしまう恐ろしい虫だった。
だが自分がアンデスから持ち帰ったたくさんの楽器群(ケーナ、チャランゴ、タルカ、サンポーニャ、
モセーニョ、などなどの各種各サイズ)には虫よけを入れたり風を通したりして管理していたせいか
ボリビア虫は付かず、やがて忘れたころに湧いたのはよくいる?奴で、気が付くのが早かったのか
被害は無くホッとしたのを憶えている。

いや、そんなことよりブログである。
この間、仕事が一気に立て込んで、例年になく(と言うか例年にない状況を自ら作り出してしまったがために)
慌ただしく、ブログにかかれずにいたんです…
などという言い訳は無用だ。
なぜならこの間、仕事の方がいろいろあって大変だったのは間違いないが、そう言いながら
ゴールデンウィークの1週間に、今年の旅を、ちゃっかり、いやシッカリしてきたアンタ(僕)ではないの!

いったん何かに取りかかるとそのことばっかり気にかかる性質(たち)なんで、やらない間は完全に
ほかのことに夢中になっている私。虫(広告)に喰われないうちに、やはり定期的とは言わないまでも
時おりメンテしてあげないと、いかんようだな!



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